初めて田中順也の名前を目にしたのは、2009年の9月のはずです。「はずです。」との曖昧な表現は、目にはしていたけれども、覚えていないからです。サッカーに関するウェブ上のコラムは一通りチェックしているので、Number Web に掲載された木崎伸也氏のコラムを見逃すはずはありません。必ず読んでいるのですが、記憶には残らなかったのです。ユースサッカーの名門、三菱養和サッカークラブのエースだったとはいえ、クラブチームからも大学からも声が掛からなかった存在。順天堂大学へは一般入試で入学したそうです。そのような選手でしたから、ユースサッカーに携わっていない限り、知っていなくても無理はありません。■ 繊細にして強靭なレフティーFW木崎伸也氏のコラムのタイトルは、「繊細にして強靭なレフティーFW出現。柏レイソルの『41番』は誰だ!」。そこには未知の才能を発見した喜びと期待が綴られています。木崎氏は、特別指定選手として登録されてJリーグにデビューしたばかりの田中順也を浦和レッズ対柏レイソル戦で発見しました。先制点につながるパス回しに加わった無名の選手。左サイドからの正確なクロス。反転してDFをかわしてのパス。気になった木崎氏はレイソルを取材しました。パスが出せる。テクニックがある。フィジカルが強い。ポストプレーもこなせる。頭がいい。誰とでもフォワードを組める。そして、何よりも得点力がある。ネルシーニョ監督に気に入られたこと。さらに木崎氏は、田中順也本人に声をかけ、参考にした選手を聞き出しました。中村俊輔、本田圭佑、玉田圭司だそうです。この時点での木崎氏の最前列でゲームメイクできるレフティとの評。柏のスカウト、ネルシーニョ監督、木崎氏。このコラムを読み返して見て、その眼力に恐れ入ります。■ 2010年晴れて、レイソル柏に正式入団。北嶋秀朗、林陵平、工藤壮人を中心とする前線のスーパーサブ的存在として24試合で6得点と新人としてはまずまずの成績。ネルシーニョ監督には、ポジショニングを徹底的に指導されたそうです。■ 2011年6月、木崎伸也氏が田中順也に関する二度目のコラムを掲載しました。「首位レイソルの原動力、田中順也。圧倒的な攻撃力を支える左足の秘密。」そのコラムでは、柏がサイドからだけでなく、中央からも攻められる理由に田中順也の存在があることを指摘しています。マークされても、一瞬の動き出しで相手をかわして狭いスペースでパスを受ける。DFの裏にも積極的に飛び出す。一瞬の動きで相手を翻弄する創造性(ラウールのようだとも)。そして、2年前からの進化は、レシーバーとしての引き出しを持つようになったと指摘、「近い将来、柏の18番が代表に選ばれても、きっとそれは驚きではない。」と。また、スポーツナビでも、7月12日に鈴木潤氏が「「無名」の存在から覚醒した田中順也(1/2)柏をけん引するアタッカーの魅力」というコラムを著しています。そこからは、次のようなフレーズが散りばめられています。「順也の魅力はシュートの積極性」というネルシーニョ監督の言葉。日本人に少ないシュータータイプのアタッカー。“三菱養和のアドリアーノ”。緻密なポジショニング。頭を使ってプレーするようになったこと。左足のシュートとハードワーク。そして、「日本代表に田中が加わったならば、(中略)田中はわずか一瞬でもゴールへの道筋がクリアになれば、バズーカ砲のような弾道の左足シュートを躊躇(ちゅうちょ)なく相手ゴールへ見舞うはずである。」と。■ 代表召集、ワールドカップ予選へ。ついに田中順也が真価を発揮する時が来ました。ザッケローニ監督も田中順也を見逃しませんでした。森本貴幸に代わっての代表召集。彼にスター性があるならば、このチャンスを活かさないはずはありません。清武弘嗣が途中出場で結果を出したように、田中順也も鮮烈な印象を残すことを期待します。長友佑都、本田佳祐、中村憲剛といった主力の欠場と、日本代表に暗雲が垂れ込んで来ていますが、田中順也をはじめとする若手が活躍して、日本サッカーに新たな光をもたらしてくれると信じましょう。さあ、ワールドカップ予選北朝鮮戦、9月2日は嵐となるのか、晴れるのか、今から胸の鼓動が高鳴ります。ところで、本田佳祐の抜けた穴をどう埋めるのでしょう。メンバー表を眺めながら、当日まであれこれ考えてみます。ザッケローニ監督の采配やいかに。GK川島永嗣 1983.03.20 185cm西川周作 1986.06.18 183cm権田修一 1989.03.03 187cmDF駒野友一 1981.07.25 172cm今野泰幸 1983.01.25 178cm栗原勇蔵 1983.09.18 184cm伊野波雅彦 1985.08.28 179cm槙野智章 1987.05.11 180cm内田篤人 1988.03.27 176cm吉田麻也 1988.08.24 189cmMF遠藤保仁 1980.01.28 178cm中村憲剛 1980.10.31 175cm ※ 右足親指付け根の骨折で離脱阿部勇樹 1981.09.06 177cm長谷部誠 1984.01.18 180cm細貝萌 1986.06.10 177cm柏木陽介 1987.12.15 175cmFW李忠成 1985.12.19 182cm岡崎慎司 1986.04.16 174cm本田圭佑 1986.06.13 182cm ※ 右膝半月板損傷で離脱香川真司 1989.03.17 172cm清武弘嗣 1989.11.12 172cm原口元気 1991.05.09 177cm田中順也 1987.07.05 180cm ※追加召集※ 森本貴幸(ノバラ)はけがのため不参加。※ 本田圭佑、中村憲剛の離脱による追加召集選手は未定。
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